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■■■石見吉見氏の系譜と事歴■■■

02.石見吉見氏の出自その1

見吉見氏は各地に繁衍した吉見氏の中で、最も繁栄した一族です。しかしその出自については、実際のところ不明で、伝えられる系図には多くの疑問点が存在します。

現在伝わる石見吉見氏の系図としては、@諸家系図纂所収吉見系図、A系図纂要所収吉見系図、B大野毛利家譜が挙げられます。これらの系図は、その初期の大部分は尊卑分脈の吉見系図に一致するものの、石見吉見氏の起源についてはそれぞれ異なっています。

石見吉見氏系図比較

これら3系図によると石見吉見氏の分岐は為頼か頼円ということになりますが、尊卑分脈及び系図纂要では、為頼の末子頼業に、「法名頼円」あるいは「出家頼円」と注記しています。従って、為頼の子(兄)として頼円を置き、その後に為忠・頼忠・頼行と続けているのは誤りであると考えられます。諸家系図纂においても、「按此系統有誤」として、石見吉見氏の起源に疑問を呈しています。

また、世代数の点からもこれら系図の内容を信じることは出来ません。筆者は吉見為頼の生年は1210年頃と考えています。(その根拠は別に提示したいと思います。)一方、石見吉見氏初代頼行の生年は1250年です(※)。つまり、40年の間に3世代ないし4世代が入っているのです。常識的に考えれば、頼行は為頼の子か孫の世代に当たる人物となります。

(※)興源寺にある吉見頼行の位牌に、「延慶二年(1309)四月廿八日五十九歳」とある。

通常このようなケースは、何らかの系図上の作為が成されたものと見なされます。石見吉見氏の場合、石見国吉賀郡の支配を巡り、能登吉見氏との関係でその正当性を示すために、系図を作為したものと思われます。恐らく5代頼弘の時代、つまり能登吉見氏が石見吉見氏による吉賀郡の押領を幕府に訴えた時、その反論の証拠として、文書偽造とともに系図上の作為がなされたのではないでしょうか。