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■■■幕臣・諸藩の吉見家■■■

05.岩村藩士吉見家

村藩は美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市岩村町)付近を支配した藩です。関ヶ原の合戦後、松平家乗(大給松平氏)が2万石で入部し、初代藩主となりました。2代目乗寿の時、寛永15年(1638)に浜松へ転封となり、替って丹羽氏信が三河伊保から入部しました。5代目氏音の時、藩政改革をめぐる藩士同士の対立が家中騒動に発展し、丹羽家は越後高柳に減移封となりました。元禄15年(1702)8月、松平乗寿の孫乗紀が信濃小諸から入部し、以後幕末まで松平家の支配が続きました。

御弐代様 藩士歴世略譜』によると、岩村藩士の吉見家は「生国濃州・家紋梅鉢桔梗」と見えます。初代善大夫(実名不知)は、松平乗紀が信濃小諸から入部した翌年の元禄16年(1703)2月、足軽として召抱えられました。善大夫以前の系統は不明で、丹羽家の旧臣であったかも知れません。家紋が梅鉢ということから、北野松梅院尾張藩士の吉見家との関係も考えられます。

善大夫の嫡男小右衛門定為は、姓を吉見から川手と改姓し、川手小右衛門と名乗りました。定為の嫡男彦太夫満定は御中小性部屋住中に出奔してしまった為、山田伴内の子を養子に迎え、家督を嗣がせました。この時本姓の吉見に復姓しています。

6代正五郎賀真は山水奉行を勤め、近習末席に列していました。明治5年(1872)学制発布により、翌年岩村にも小学校が創立されましたが、賀真は藩校知新館で学んだ旧士族として教員に採用され、数学を教えたようです。

岩村藩士吉見家系図