■■■源範頼の後裔吉見一族の系譜と歴史を紹介するホームページ■■■

タイトルのロゴ

トップ>>サイトマップ>>吉見一族の姓氏家系辞典>>現在のページ

■■■吉見一族の姓氏家系辞典■■■

松本氏(備後国世羅郡上津田村)◆

備後国世羅郡上津田村(現広島県世羅郡世羅西町上津田)の松本家は、江戸時代に上津田村を含めた周辺7ヶ村の庄屋を務めた家です。『芸藩通志』世羅郡上津田村條に、「上津田村松本氏ハ吉見正頼ガ子広正ヨリ出ヅ。広正氏ヲ松本ト改メ家人五十口ヲ率イ上津田村ニ移住」と記載があります。筆者は20年程前に、自身の家系調査のついでに上津田の松本家を訪ね、「清和源氏・吉見氏系図」と「松本家系図」を見せて頂きました。当時はまだ中学生だったので、系図の内容を詳細に確認することもなかったのですが、吉見系図は現在流布するものと殆ど同じものだったと記憶しています。

松本家初代の広正は何れの吉見系図にも見えず、この出自の真偽は判りません。(吉見正頼の子としては、嫡男広頼と息女妙性院のみが知られる。)「松本家系図」には広正が氏を松本と改めた由緒は記載されていませんが、推測すれば、現在の山口県萩市松本が発祥の地かと思われます。萩市地域は、大内義長滅亡後に吉見正頼に宛行われ、また、指月(現在の萩城のある場所)は吉見正頼が隠棲した地でもあります。この当りに吉見氏と松本家を繋ぐものが有るような気がします。また、「芸藩通志」によれば、松本家には吉見正頼が毛利元就から賜ったという三条実長の刀を所蔵していると言います。

上津田村松本家略系図

(追記:我が家の家系について)

筆者は生まれも育ちも東京ですが、本家は広島県世羅郡世羅西町下津田にあります。世羅西町長田の光源坊(浄土真宗)を菩提寺としており、本家にある位牌によると、初代寒窓悟雪信士(俗名不明、享保年間生まれか?)に始まり、私で8代目となります。特に由緒があるわけでもなく、江戸時代もふつうの農民でした。(ただ、刀などを持っていたらしく、明治頃に売払ってしまったらしい。)

本家で聞いたところ、元々は三若(現広島県三次市三若町)に住んでいたが、その後下津田に移り住んだそうです。また、以前は三次市糸井の照善坊を菩提寺としていたということです。2代目以降の法名が浄土真宗の「釈・・・」となっていることから、下津田へ移り住んだ時期は、初代の没した享和2年(1802)以降と推測出来ます。

上記上津田の松本家と何らかの関係がないかと思いましたが、上津田の「松本家系図」には初代らしき人物は見えませんでした。しかし、

(1)上津田の松本家も元々は三若に住んでいた。
(2)上津田の松本家の分家に、菩提寺を光源坊に替えた家がある。

ということで、私の家とは断定出来ませんが、何らかの繋がりがあるのでは、と思っています。光源坊には私の家について書かれたものがあるようなので(但し内容は不明)、今後機会があったら光源坊を訪ねてみたいと思います。

松本家略系図