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■■■幕臣・諸藩の吉見家■■■

06.三春藩士吉見家

春藩は江戸時代、磐城国田村郡(現在の福島県三春町)に存在した藩です。『春陽秘鑑』(三春藩士の系図集)によれば、三春藩士に惣右衛門(実名不明、17世紀中頃の人物)を祖とする吉見家があります。初代惣右衛門の注記には「松下石見守長綱旧臣」「本苗山田」「妻松下殿家中」とあり、惣右衛門は元々松下石見守の家臣で、松下家改易の後に秋田家に召し抱えられたことが分かります。

松下氏は三河国碧海郡松下を発祥の地とし、今川義元・徳川家康・豊臣秀吉に仕え、安土桃山期から江戸初期にかけて大名となった一族です。惣右衛門が初め仕えていたという松下石見守長綱は、寛永4年(1627)家督を嗣いで二本松藩第2代藩主となりましたが、若年であることを理由に、翌年三春藩に移封されました。しかし、正保元年(1644)長綱は乱心したとして改易され、その後秋田俊季が5万5千石で入封し、以後明治維新まで秋田氏の治世が続くことになりました。

ところで、「寛政重修諸家譜」所収の松下氏系図によれば、長綱の高祖父長尹に吉見氏に嫁した女がいたことが分かります。このことから、三春藩士の吉見家は三河の吉見氏の一族で、代々松下氏に仕えていた家柄であったのではないかと推測します。(和歌山藩士の吉見家家譜にも、「代々高浜(碧海郡)に居住」とあり、碧海郡は吉見氏との関わりが深い。)尚、「本苗山田」とあるのは、恐らく吉見家に嗣子が無かった為、弥右衛門が山田家から養子として吉見家に入った、ということではないでしょうか。

三春藩士吉見家系図

分限帳等に見る三春藩士吉見家の人々

延宝五年大目付  吉見弥惣右衛門
貞享二年小郡代  吉見弥惣右衛門
享保元年御近習目付  吉見八郎兵衛
享保七年大目付 吉見弥惣右衛門
享保十四年長柄組 三  吉見弥惣右衛門
享保十七年小郡代  吉見弥惣右衛門
享保十八年先筒  吉見弥惣右衛門
寛保三年先筒  吉見八郎兵衛
延享元年大目付  吉見弥惣右衛門
寛延三年長柄組  吉見弥惣右衛門
宝暦八年御近習目付  吉見八郎兵衛
安永五年表御武具役  吉見弥祖右衛門
天明三年長柄組 一  吉見弥惣右衛門
天明六年先筒二十五人  吉見弥惣右衛門
寛政七年小納戸元方  吉見八郎兵衛
寛政九年御近習目付  吉見八郎兵衛
寛政十一年持筒二十人  吉見弥惣衛門
寛政十二年持弓組 籏組十五人  吉見弥惣右衛門
享和元年御番頭  吉見弥惣右衛門
文化元年武術稽古場目付  吉見八郎兵衛
文化六年大目付  吉見八郎兵衛
文化七年大目付御免  吉見八郎兵衛
文政元年御膳番  吉見太郎
天保七年御近習目付  吉見太郎
天保十二年奥家老  吉見八郎兵衛
嘉永六年刀番  吉見政之助
安政五年大目付  吉見連蔵
慶応三年御用人順席  吉見連蔵
明治二年家知事 京都表公用人  吉見連蔵

上の表は分限帳に見える吉見姓の人物とその役職を年代順にまとめたものですが、吉見家は代々大目付を勤める家柄であったようです。中でも吉見連蔵は幕末から明治維新にかけて活躍した人物で、戊辰戦争の際三春藩の出兵回避の為に尽力し、三春城を無血開城に導きました。

吉見連蔵文政四年生まれ。明治四十年没。天保七年御目見得。嘉永五年家督を嗣ぐ(二百石)。安政二年大目付。安政五年江戸留守居役。慶応二年御用人順席。江戸留守居役として、国元と幕府との連絡・折渉の要となる。戊辰戦争に際しては、三春藩の出兵回避に尽力し、三春城を無血開城に導いた。明治二年家知事。京都表公用人。二百五十石。