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■■■能登吉見氏の系譜と事歴■■■

21.吉見頼隆・氏頼父子の文化活動

登吉見氏の最盛期は、吉見頼隆氏頼父子が能登守護の地位にあった、1336年から1380年頃までの約45年という短い期間でした。しかも頼隆・氏頼父子は北朝方の有力守護として、能登国内の反幕府勢力掃討に注力した為、彼らが能登国内に何らかの文化的遺産を遺したことを示す史料は見当たりません。

一方、能登守護という立場上、それなりの教養は必要であったでしょうし、中央の文化人と交流があったかも知れません。実は、頼隆・氏頼父子は勅撰和歌集の作者としてその和歌が収録されており、歌合等にも参列しています。ここでは彼らの歌人としての側面を紹介したいと思います。

◎吉見頼隆の和歌◎

●『新千載和歌集』(巻第十二 恋歌二)●
たかもらす涙なるらん敷妙の枕にたにも忍ふ思ひを

新千載和歌集は、延文元年(1359)足利尊氏が執奏し、後光厳天皇の勅命によって編纂されました。撰者は二条為定。足利尊氏の執奏ということもあり、北朝方の武家歌人の歌が多く収載されています。

●『新拾遺和歌集』(巻第十二 恋歌二)●
恋わふる袖のなみたをそのまゝにほさてかたしくよはのさ莚

●『新拾遺和歌集』(巻第十八 雑歌上)●
しからきのと山にふれる初雪にみやこのそらそ猶時雨ける

新拾遺和歌集は、貞治2年(1363)足利義詮が執奏し、後光厳天皇の勅命により編纂されました。撰者は二条為明、後に頓阿。この勅撰集も武家歌人の歌が多く収録されています。

●『新後拾遺和歌集』(巻第七 雑春歌)●
散花の雪とつもらは尋こししほりをさへや又たとらまし

●『新後拾遺和歌集』(巻第八 雑秋歌 歌題:暮秋紅葉)●
明日まての時雨もしらす秋の色をそめつくしぬる峰のもみちは

新後拾遺和歌集は、永和元年(1375)足利義満が執奏し、後円融天皇の勅命により編纂されました。撰者は二条為遠、後に二条為重。を行います。身分が比較的低い僧侶・武士層の歌が多く収載されています。

この他、頼隆は観応元年(1350)の「二条為世十三回忌詠法華経和歌」に散位(位階はあるが、役職に就いていない)として列席したことが知られます。この時の和歌については確認でき次第、紹介したいと思います。

◎吉見氏頼の和歌◎

●『新拾遺和歌集』(巻第十八 雑歌上 歌題:鷹狩)●
ふる雪にとたち尋て今日いくかかたのゝみのをかりくらすらん

●『新後拾遺和歌集』(巻第六 冬歌)●
かち枕うきねもさむき浦風に夢をさそひてなく千鳥哉

●『新後拾遺和歌集』(巻第十三 恋歌三)●
いたつらに待はくるしき偽をかねてよりしる夕暮もかな

貞治六年(1367)3月23日、将軍足利義詮は京都五条の新玉津島社で歌合を催しました。関白二条良基・三条公忠・冷泉為秀等と共に、氏頼が列席しました。玉津島社は、藤原定家の父、俊成が住吉明神と玉津島明神を勧請して創建された神社で、「歌の守護神」とされていました。この時氏頼が詠んだ和歌は次の通りです。

●『二十二番 左 題:浦霞』●
朝かすみたつとは見れとわたのはら猶うら風のさゆる春哉

●『五十五番 左 題:尋花』●
山深みわけこしほともしられぬは花にやうつるこゝろ成らん

●『八十八番 左 題:神祇』●
たまつ嶋きみかみかける神垣にやちよの末をさそ照らすらむ