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■■■幕臣・諸藩の吉見家■■■

01.尾張藩士吉見家

張藩士吉見家はその系図によれば、石見吉見氏初代頼行の子、貞頼を祖としています。しかし何れの石見吉見氏系図にも貞頼の名は見えず、実際に石見吉見氏の後裔であるかは疑わしいと思われます。

貞頼は南北朝期、南朝方として伊勢国に下向し、北畠氏に仕えたとされています。その7代孫太郎左衛門直家は、園崎美濃守直忠の養子となり「園崎」に姓を変えました。元和5年(1619)、直家の孫左近直勝は、尾張藩主徳川義直から尾張東照宮の祠官に任じられると、「吉見姓」に復し、名を幸勝と改めました。幸勝の孫左京大夫幸和は、江戸中期の神道家として広く知られています。

尾張藩士吉見家系図
吉見幸和通称定之助、定右衛門。号恭軒、風水翁など。字子礼。正四位下左京大夫。室石原勘右衛門正記女。江戸中期の神道家。伊勢内宮に対して外宮の優位と正当性を説いた伊勢神宮の教理書「神道五部書」を偽書であると論じた著作「五部書説弁」は有名である。宝暦12年4月26日、89歳で没した。
吉見蓮子吉見民部大輔恒幸室。福岡藩士佐藤長兵衛長信の娘。尾張藩士横井時信の養女として恒幸に嫁いだ。福岡から尾張へ嫁入りする際、「筑紫帯」を記した。