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■■■範頼流吉見氏の起源■■■

04.吉見氏の起源私論

述のことから、小山氏-----吉見氏-----源範頼という繋がりを想定することが出来ます。小山氏及び小山一族の吉見氏が、源範頼の後裔が『吉見氏』として存続したことに深く関係していたと考えられるのです。和歌山藩士吉見家の家譜はこのことを裏付けています。それによると、源範頼の孫為頼は、前出吉見三郎頼経の養子となり、吉見家を相続したというのです。

●『和歌山藩士吉見家家譜』(抜粋)●
吉見喜左衛門経孝 吉見三郎為頼二十一代 吉見仁左衛門頼宗總領
         生国三河
元来藤原姓に而俵藤太秀郷より相続仕候処二十代以前之祖吉見三郎為頼儀實は範圓法師之子に而参河守範頼には孫に御座候処吉見三郎頼経の養子と成吉見家相続仕候為頼之孫吉見三郎頼有之代に至祖父実方之姓源氏に改、(以下略)

吉見家は頼経が源頼朝から賜った感状を所持しているという。経孝の嫡男は弓道家として名高い臺右衛門経武。

こうして、範頼の孫為頼は小山一族の吉見家を相続することで『吉見氏』を称するようになったことが明らかとなります。更に、石見吉見氏の後裔、大野毛利家が編纂した吉見家家譜によれば、為頼の室は小山朝政の女となっており、ここでも小山氏と範頼流吉見氏の関係が推察されます。小山氏は北条氏が鎌倉幕府の実権を掌握した後も、一貫して下野守護職にあり、小山朝政は播磨守護にも任じられる等、一族共々幕政に重きを成しました。源範頼の後裔は小山氏の庇護の下、『吉見氏』として存続し、北条家支配の時世を生き延びる事が出来たと考えられるのです。

吉見氏・小山氏関係系図

吉見次郎頼綱と三郎頼経は或いは同一人物ではないか、という気がしている。系図中の朝信にしても、二郎とするもの、三郎とするもの色々あるようである。