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■■■吉見姓概観■■■

02.吉見氏の系統

姓氏家系大辞典』によれば、吉見氏には主なもので次のような系統が存在しています。

(1)武蔵国比企郡吉見庄を発祥とする源範頼流吉見氏
清和源氏左馬頭義朝の6男蒲冠者範頼を祖とする吉見氏で、当サイトのテーマです。一族は能登・三河・伊勢・因幡・石見等に広まりました。

(2)武蔵国比企郡吉見庄を発祥とする出自未詳の吉見氏
武蔵国比企郡吉見庄発祥の吉見氏としては最も古い一族。出自は不明ですが、一説に神官の出とも言われています。「熊谷系図」に「吉見尼」が見えるのを始め、「小山系図」に吉見太郎頼茂、吉見三郎頼経の名を見ることが出来ます。次の小山氏族の吉見氏との関係が深い一族です。

(3)藤原秀郷流小山氏族の吉見氏
「小山系図」によれば,小山政光の子息朝信は武州吉見太郎頼茂の家督を相続し、吉見二郎を称したとされています。これが吾妻鏡に見える吉見二郎頼綱と思われます。更に、「結城系図」には小山政光の猶子として吉見三郎頼経を挙げています。太郎頼茂・三郎頼経はいずれも(2)の吉見一族です。

(4)北野天満宮社家で菅原氏族の吉見氏
家譜によれば、忠慶の時、源範頼から吉見姓を賜ったとしいています。一族は肥後・薩摩等にも見られます。

(5)丹波国氷上郡市島城主の吉見氏(出自未詳)
「吉見家系」によれば、源範頼の次男三郎資重が建久3年、丹波国鹿集荘地頭職として武蔵から入部したとしています。三郎資重は何れの吉見系図にも見えず、源範頼の次男というのは後世の仮冒と思われます。武蔵出身が事実であれば、(2)の吉見氏の一族かも知れません。

(6)越後国頸城郡鹿瀬城主の吉見氏
新編会津風土記に、津川町の小屋館址は、大永2年吉見左京包広の築で、その子兵庫忠親、その子式部忠春迄3代居住したとあります。家譜によると、清和源氏、新羅三郎義光の後裔で次郎光信を祖としています。